日翳の山 ひなたの山 上田哲農 著

上田哲農は1911年生まれ、1970年に亡くなった。20代の頃、日本登高会の設立に加わり、戦前、白馬、谷川岳などの困難な登攀ルートの開拓に取り組んだ。また第2次RCCの設立に加わり、代表も務めた。本業は画家であり、日展の特選にも選ばれている。日翳の山 ひなたの山は昭和33年の初版だから、著者が47歳頃の書である。
本の跋に述べられているように戦前に画文集として夭折した長女の供養のために出版を企画されたものの、戦局の悪化で日の目を見なくなり、戦後さらに長男、父を失って、その人生をささげた山への想いを父の十三回忌の折に綴ったとある。
日翳とひなたの説明について、山岳風景には日の当たる山々と、陰翳の多い谷々があるが、『ぼくにいわせれば、それらはいずれも「ひなたの山」であって、「日翳の山」ではないのです。そうです。「日翳の山」とは実在のものではありません。・・・「行為」は「ひなたの山」、「思案」は「日翳の山」と考えて、これは車の両輪の如く、離そうとしても離れないし――登山がスポーツの王とされるゆえんもここにあり、書名にしたわけです。』とある。
 本書の中には、のびやかな上州や信州、北海道の山スキーや里山の紀行が随所に出てくる。一方で著者はスキーの名手だったらしく雪山を縦横無尽に駈けまわり、岩壁にも挑んでいる。時代を考えると先鋭的な活動をしていたのだろう。ただそれだけではなく、山の時々の事象、場面ごとに詩情がある。そして挿絵はプロだから当然の如く素晴らしく、その文章と相俟って臨場感があり、心に残る。僕にとっては全ての文章が山のアンソロジーだ。それと、山とは関係ないがタンゴの名手でもあり、小生の記憶ちがいかもしれないが、全日本選手権でも輝かしい記録を残している。
 岩登りでは、「ある登攀」。・・・「それはまさに死の重圧から、危くすりぬけた思いだった。思い出しただけでも、背筋の寒くなるような、あの日の経験――それを今くりかえしているものがいる。」との書き出しで始まる、白馬主稜冬季初登攀の記録だ。最大の難関、ナイフリッジで、シュルンドのためにオーバーハング状になった場所で悪戦苦闘している登攀者がいる。それを著者は白馬頂上から固唾をのんで見守っている。首尾よく乗り越えてくれという期待と同時に、簡単に完登するのを望まないという複雑な気持ちも吐露している。『「白馬の主稜なんかチョロイ」といわれるのが何より恐ろしかったのだ。そうだ。ぼくは、「どうだね、白馬の主稜はそう簡単にはいくまい」と誇りたかったのだ。越中あげの強風に煽られながら、ぼくは唇をかみ、ゆううつだった。』
 また、「蝶とBivak」では、細長い岩棚で暴風雨の中でのビバーク。仲間は瀕死の重傷を負っていながら、膝を抱えるほどのスペースしかない。夜明けに死んだかのような蝶が近くに数羽張り付いていた。それがひらひらと飛び立って、それと共に生還への希望がわいてきた、というものだ。ぎりぎりの状況は臨場感があふれる。
 一方で、「冬の宿」では、札幌の安アパートで山スキーのため数カ月滞在した時の、隣部屋の芸者さんとの一寸した人情の触れあいなどが、綴られている。
 また、「安曇野日記抄」は春の後立山での現地の人たちとの交流が雪解けの季節の移り変わりと共に綴られている。
 どの文章をとっても心に沁み入り、山への想いを掻き立てられるのだが、最後に自身も登攀者で、画家で、詩人でもある芳野満彦の解説文の一節を引用する。

 山登り気違いの少年というのは、たいがい「吾が薫陶の書」をもっている。ぼくも自分の山登りの感化を受けた書物というのは、時代とともに多少は変ったけれども、何冊かあった。たとえばエドワード・ウインパーの『アルプス登攀記』であるとか、槇有恒の『山行』、藤木九三の『屋上登攀者』、加藤泰三『霧の山稜』、ハンス・モルゲンターレル『イヤー・ベルゲ』などであった。しかし、上田哲農『日翳の山 ひなたの山』を手にしたときから、もう自分の山登りも絵も、続けて行く自信を失うほどの大ショックを受けた。山登りや絵に関する優れた書物は世の中に山ほどあるけれども、この『日翳の山 ひなたの山』ほど、一人の少年というか、すでに二十歳を過ぎていたから青年というのであろうか、とにかく、一人の人間の生きざまを狂わした書物はない。

2 Replies to “日翳の山 ひなたの山 上田哲農 著”

  1. 大阪で老人施設に勤務している70歳の医師です。昨年友人から上田哲農氏のエッセイを紹介され、ウ~ンとうなってしまいました。天性の詩人と思ったからです。小生も若いころ少し山に登りました(1970年マカルー東南陵について行きました)。そんなことでフラリと先生のブログを読ませていただきました。ありがとうございました。

    1. 誰も読まないと思って書いたのに、読んで下さる方がいたのですね。こちらこそお礼を言いたいくらいです。
      我々も著者が自身のことを「老いぼれ」といった齢をとうに過ぎてしまいました。そして齢を重ねるごとに上田哲農の本が心に沁みいってきます。身体は動かなくなるのに山への憧れは一向になくなりません。

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