ソウルから 続き

金曜日は、学会の終了後、南大門市場に行きました。明洞の一つ先の会賢で地下鉄を降ります。市場に行く前に崇礼門をみに行きました。道を間違えてソウル駅まで歩きましたが、レンガ作りの重厚そうな駅ドームが望めました。崇礼門は修復中で高い塀に囲まれたままで見ることができず残念でした。そこからぶらぶら市場の方へ歩いて行きました。メガネ店や衣料品店や食料品店が軒を連ねていました。プンオパンという鯛焼きを一回り小さくしたようなフナ焼きを食べながら買う気もなく店を見ているうちに、屋台のおばちゃんにつかまり、肉料理と春雨料理食べましたが、結構高かった、やはり物はしっかり見定めないと失敗します。その後、土産物屋でいろいろ見ていましたが、国士館大学に留学したことのある店のお兄さんの話しを聞くうちに松茸、朝鮮人参など結構なものを買ってしまいました。どうもすぐ乗せられ易い性格かもしれません。でもなかなかの好人物で軍隊がなかったらもっと日本にいたいといっていました。また来てね、というので機会があったら行くよ、とまたの再会を約しました。
 土曜日は、お昼休みに仁寺洞(インサドン)に行きました。安国駅の近くの石畳のメイン・ストリートは週末の好天も相まって、人々であふれ返っていました。雑貨店、工芸店、骨董屋、茶屋などが立ち並んでいました。その溢れ返った道に自動車が入ってくるのですから、その混雑ぶりは大変なものです。人々をかき分けるようにして通りをすり抜け、昌徳宮(チャンドックン)に行きました。朝鮮王朝第3代太宗の立てた離宮です。建物も裏の広大な森の様相も日本かと見違える程よく似ていましたが一寸けばけばしい色使いというか、やはり日本の古い建物の方に親近感というか、深み、渋みのようなものを感じました(日本の建物も建立当時は原色など使い今見る感じとは違うのかもしれませんが)。
土曜の夜はGala dinner party がオリンピック公園のwater side stageで催されました。広々とした水辺のステージに参加者が集い、韓国の伝統音楽など印象的な宴会でした。そこで20年ぶりに米国留学時代のラボのボス、JT Elderと再会しました。覚えてくれているか心配でしたが、懐かしがってくれました。いまや乾癬の遺伝子分野では大御所となっていますが、「昔君が書いたIL-8/GROに関する2つの論文は誰も知らないけれど、新しい技法を使ってもその結論は変わらないよ」と慰めとも励ましともつかない言葉をかけられ一寸ほろっとさせられました。
当時はアラキドン酸カスケードや、ケモカインの病態論が盛んでしたが、乾癬の病態論は時代と共にどんどん発展し、現代はTIP-DC Th17がセントラルドグマとして華やかです。しかし、これも10年たつと結構変わってくるかもしれないと一寸思いました。
 日曜日はそのJTがチェアーを務めるセッションを聞きましたが、同じ乾癬でも欧米人とアジア人では遺伝子座が異なるらしいとの事でした。日本、中国からの発表もありましたが、これから中国がこの分野で精力的に活動するだろうとのことで、JTも中国と共同研究をするといっていました。午後も彼のWhat`s Newの講演もあったのですが、台風が丁度日本に接近しているとの事でKALカウンターに急ぎました。しかし韓国は晴天、受付では台風て何?と言う感じでピンと来ていない応対でした。振り替えの便もないとのことであきらめました。諦めついでに最後にソウル市内を見おさめようと街に出ました。昌徳宮の近くの景福宮です。王宮の中に国立古宮博物館がありました。韓国王朝500年の遺品が展示されていました。儒教精神に則って律儀なまでに厳格な戒律を持ち、国を発展させようとしていたようです。当初は文書はきれいな漢文で作成されており、途中からハングルが出てきます。中国を手本としながら、当時としては独自な天文学、医学なども発展させていったようです。(写真の日時計は昌徳宮にあったもので当時としては世界最新のもの)。ずっと見て行って我々には一歴史事項とも思える韓国併合以降のことは何も触れてなかったようでした。この王朝の繁栄が現代の韓国の発展の礎となったとの様な記述でした。この何も触れていない所に重みというか、深い恨の感情が逆に感じられました。日本と韓国は近くて遠い国なのだなーとの思いが胸に重く圧し掛かってくる感じでした。
 ある意味で文化先進国であった帝国が滅ぼされたという重みは単なるプライドを傷つけられる以上のものがあるかも知れません。将来に亘ってもなかなか解決できない、だけど何とか修復していかなければならない溝を感じた博物館見学で非常に疲れました。
 半ば諦めていた飛行機は定刻に飛び、予定通り成田に到着しました。雨、風は強いものの無事日本に帰りつきほっとしました。
 また明日から診療に努めます。
学会の内容がほとんど抜けていますが、アルコールと英語力不足か街の観光のみが頭に残ってこのような紀行文になりました。乞う、ご容赦。
昌徳宮1.jpg昌徳宮2.jpg昌徳宮3.jpg昌徳宮4.jpgcoexモール.jpgcoexモール2.jpgオリンピック公園1.jpgオリンピック公園2.jpgオリンピック公園3.jpgJTと.jpg

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