ヨテボリ便り(4)

今日でヨテボリともお別れです。朝食を食べていると給仕の男性が話し掛けてきました。中国人かと聞くので、日本人だと話したら、日本に結構興味を持っていて、色んなビデオ、映画も見ているようでした。日本はそれなりに関心を持たれているのかも知れません。
 街外れのモーテルといった感じの宿もいざチェックアウトとなると一寸懐かしく寂しい感じがします。バスも意外と定刻にきっちりと来てなかなかいいではないかと思えてきました。モルンダール駅は郊外の小さな駅ですが、トラムの終点で、市の中心部から来た電車がループをぐるっと回ってきます。今は日本ではあまり見かけなくなった路面電車ですが、市民にも旅行者にも結構人気があるとのことです。最後の別れに駅と停車場の写真を撮りました。学会はもう一日あるのですが、今朝は学会場を通り越して中央駅まで直行です。やはり駅は改札はなく、そのままホームまで行けます。オスロ行きの電車は静かに定時に駅を出発しました。列車は海岸線を走って行くのかと思っていましたが、森というか高原、あるいは田園風景の中を走って行きました。
 今回は丁度ノーベル賞決定の時期で、ネットで日本の根岸、鈴木両氏の化学賞の受賞のニュースをやっていましたのでいち早く知りましたが、もうひとつ文学賞の候補に村上春樹の名前が挙がっていました。それで「ノルウェイの森」の文庫本を持ってきて読むというのもいかにもミーハーというか、浅はかさが知れるようなものですが、実際持って行きました。
 以前、ブームに煽られて赤と緑のハードカバーを買ったのですが、ほとんど読まずに本棚の隅で埃をかぶったままでした。旅の合間に読んで、万が一賞でもとって外人に意見でも聞かれたら答えようという下心があったかもしれませんが、その気遣いは不必要でした。
 旅の間中、僕はビートルズのNorwegian Woodとは、本当にノルウェイの森のことだと思っていましたし、直子がワタナベに話した草原のはずれの雑木林の野井戸が何となく今見ている風景の中にあってもいいような変な感覚におそわれていました。男女の奔放な交わりや周りの人々が次々に自殺していく事などあり得ないと思いつつも、70年代のあの頃を回想させるものがあり本の中に引き込まれていきました。
 車窓からの景色は何か八ヶ岳高原や北海道を思わせるもので、時折、小さな村落が車窓からみえました。厳しいかもしれないという国境の検問もスムーズでした。列車がオスロに近づくと街並みも賑やかになり、前方に鏡のように静かなフィヨルドが見え、大きな船が停泊していました。
 昼過ぎに中央駅に着き、駅近くのホテルにチェックインし、早速市内の散策に出かけました。目的地はあのムンクの「叫び」のある国立美術館。カール・ヨハン通りを王宮に向かって真っすぐ歩いて行きました。通りは渋滞という程ではありませんが、多くの人々が行きかっていました。途中から右折して簡単に辿りつけるかと思ったのですが、地図を見るのが苦手で散々道に迷ってしまいました。それでもやっと目指す国立美術館に着きました。オスロに来たのは、一にこのためでした。
 例の絵は誰でも知っている有名な絵ですが、やはり本物を見てみたかったのです。それにこの絵は2004年に一旦強奪されたのですが戻ってきたのです。それを取り戻すおとり捜査などの経過がテレビで放映されていました。数奇な運命を辿った絵はそのためかどうか表面がやや剥がれた部分がありましたが、印象深いものでした。その他にも「生命のフリーズ」の連作など一部屋にまとまってムンクの作品がありました。この美術館は無料で一度盗難にあっているのに、それ程警備は厳重ではなく観客も比較的少なくゆったりと観賞できました。ノルウェイ子にとってはいつでも見られるからなのか、それともそれ程皆が興味を持っていないのか、どうなのでしょう。
 ムンクの一連の絵は一寸病的な感じのするもので、当時の彼の精神状態を反映しているのでしょうが、後年その病を乗り越えて、闇から明るい光のある色彩へと変わったといいます。人生を全うしたことは喜ばしい事ですが、芸術作品は苦悩や精神的な闇が深いほど、光輝くといった皮肉な点もあるでしょう。
 一旦トラムでホテルに帰り、休憩のあと、夜の街に出てみました。昼間の様相とまた異なり、中心地は若者を主体に活気に満ち溢れていました。とあるレストランに入りました。給仕は店先のテーブルを勧めましたが、寒いからと断ろうとするとヒーターがあるから大丈夫といいます。実際座って見ると頭上からの複数のヒーターは熱い程でした。シーフードのサンドは大ぶりでしたが美味しいものでした。写真を撮ったらヒーターのために全体がオレンジ色に染まっていました。
 広場に人力車というか人力自転車があり、乗ってみました。大柄のお兄さんは親切な人で、坂道もうなり声をあげながら、ぐいぐい登っていきます。夜の賑やかな街並みを一寸だけ垣間見る事が出来ました。
 翌日は中央駅からエキスプレスで空港まで行くはずだったのですが、線路の点検とかで急遽シャトルバスが出ることになりました。駅からバスは高台に登っていきます。途中でオスロ湾とオスロの街を見下ろす感じになりました。ムンクが果てしない叫びが自然をつんざくのを感じたのもこのような場所なのかと思いました。高曇りでどんよりとした冬の空は晴れ晴れとした気持にはなりません。ムンクの心象風景を写したような感じでした。
 オスロ空港からは、コペンハーゲン・カストロップ空港で乗り継ぎ、成田へと帰国の途に着きました。
 成田の荷物ターンテーブルで、順天堂大学の高森教授夫妻に出会いました。講演のためにヨテボリに招待されたとのこと。教授は近年、アトピー性皮膚炎などの痒み神経が表皮の中まで侵入し、そのため激しい痒みが生じることを明らかにされました。また腎透析などの中枢性の痒みに対し特効的な、レミッチという薬剤の開発にかかわられました。これは諸外国でも注目されています。ヨーロッパの学会から招待されるとはすごいと思いました。
 疲れたけれど、マンネリになりそうな頭に久しぶりに新たな刺激を吹きこんでくれた旅行になりました。
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モルンダール駅前.jpgオスロ市街2.jpg

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