アムステルダムにて

EADV(ヨーロッパ皮膚科学会)本当はVenereology(性病学)も入っているので、ヨーロッパ皮膚科性病科学会とでも、訳すのでしょうが、今風でないので、皮膚科学会としましたが、それがアムステルダムで開催されているのでそれにかこつけてオランダまでやってきました。
オランダといえば有名な画家の国、そういうわけで、昨日はゴッホ美術館にいき、今日はデン・ハーグのマウリッツハイツ美術館に行ってきました。
どうせ、デン・ハーグに行くなら途中のライデンに立ち寄らない手はないと、勝手な理由をつけてライデン大学、シーボルトハウスも見学してきました。
ライデン大学は1575年に創設されたオランダ最古の大学。シーボルトをはじめ日本にゆかりが深いところです。たまたま会った人が一番古い大学本部の建物を教えてくれました。受付でシーボルトの彫像もあると聞いたのですが、学生はシーボルト何?といった感じでした。No.16がシーボルトなのですが、そこだけ見つからない、壁の写真だけ撮ってあきらめました。そこから続く植物園の一角に菅原道真の「東風ふかば匂い起こせよ梅の花・・・」の和歌が外壁に大きく仮名文字で書かれていてその内容の説明も対訳されていたのは驚きでした。
その後シーボルトハウスに立ち寄りました。日本への愛着、造詣の深さを感じました。裏庭には八手や竹林がある庭があり、一瞬日本のどこかにいるような感じさえし、しばし佇んでいました。
その後は、マウリッツハイツ美術館でお目当てのフェルメールです。あまりにも有名な「真珠の耳飾りの少女」「デルフトの眺望」、何かこれを目当てにいくのはいかにもミーハー的で我ながら安っぽい感じでしたが、手に取るように間近に見られて幸せでした。レンブラントの年老いた自画像や、「テュルブ博士の解剖講義」も期待していたのに見つかりませんでした。時間がタイトな中での鑑賞なので見過ごしたのかもしれません。
昼過ぎにはアムステルダムに取って返してHIVのセッション、乾癬のサテライトシンポジウムを聴講しました。
相変わらず英語が聞き取れないな、とがっかりしながら、疲れた足取りでホテルに向かい、部屋でワインでも飲もうと、スーパーで買い入れて歩いていると、ばったりと新井夫妻に出会いました。
夜一緒に食べない、と誘われて日本料理屋に入りました。暫くして、こちらもホテルオークラの朝食で一緒になった黒川先生がひょっこりお店に入ってきました。朝のホテルでは少ししか話さなかったけれど、久しぶりの日本語に囲まれて、楽しいひと時を過ごしました。
話題は爪の話になり、(小生が無理やり仕向けたのかもしれませんが)iPADを見せながら、ガター法の薀蓄を聞き、フェノール法のことも聞きました。なんとHaneke先生は今しがたホテルのロビーで会ってきたよ、Baran先生とは会えばハグする仲と何ともインターナショナルな事でした。フェノール法は教本に載っていますよね、と聞くと彼らも今では爪母を痛めるようなのやり方よりも新井先生の方式を認めているとのことでした。もう4000例以上やっていてまとめるのが大変とのことでした。是非その報告を聞きたいものだと思いました。

1日経って、今日はお昼に国立ミュージアムに行き、レンブラント、フェルメールの絵をみてきました。夜はコンセルトヘボウでにわか音楽愛好家です。
明日はもう帰国の途につきます。オランダまで何をしに来たのだろう。

アムス中央駅  アムステルダム中央駅 東京駅のモデルとなったというだけあって、重厚な造りでした.

ライデン跳ね橋 ライデンの跳ね橋と風車.

 

ライデン掘割 古い大学町は運河や掘割の多い、静かな落ち着いた所でした.

ライデン大学ライデン大学で一番古い建物だそうです(大学本部).奥には植物園があります.

シーボルト 掘割沿いにしばらく歩くとシーボルトハウスがありました.収集品は書画、骨董に留まらず、博物、動植物、医術関連品、日用品など広い範囲に亘っていました.シーボルト事件の原因ともなった地図もありました.彼は禁制の地図を所持したとして幕府に追及されましたが、関連した日本人の名前は最後まで明かさず、終生日本に留まることを申し出たそうです.(日本に留まれば地図を持っていたとしても日本に不利益な事は無かろうと). 彼はオランダ政庁の医官でしたが、実はドイツ人とのことです.

裏庭裏庭には竹や八手や柏などの木が植わっており、ここがオランダとは思えない、異空間のようでした.

耳飾 マウリッツハイス美術館、というよりもオランダ絵画の至宝ともいえるフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」

デルフト同じく有名なフェルメールの「デルフトの眺望」.

夜警 国立ミュージアムの壁一面に一際眼をひくレンブラントの「夜警」があります.人だかりができていてじっくりみるもの大変でした.

牛乳フェルメールの作品も普通にコーナーに並んでいました.
「牛乳を注ぐ女」