ジョーの夢ーー八重の桜

年末に書店で増田晶文著「ジョーの夢」という本が偶然目に止まりました。
ジョーとは新島襄のことです。同志社の新島襄という名前は知っていましたが、それ以上のことは何も知りませんでしたが、明治の初期の頃の傑出した人物としてどのような人だったのか興味を惹き購入しました。
副題が「新島襄と徳富蘇峰、そして八重」とありました。後で知ったのですが、八重とは今年正月から始まったNHKの大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重なのでした。
勿論この本は新島襄の人物伝なので、明治9年の秋13歳の徳富蘇峰(猪一郎)が京都の新島邸を訪ねて行く所から始まっていますので八重の会津時代のことにはあまり言及していません。
新島襄はその10数年前に幕府の禁を破って米国へ密航しました。米国での援助者を得て、高校、大学、神学校を卒業し明治7年に帰国し翌8年同志社英学校を設立しました。
 その設立に際して、八重の兄の山本覚馬が薩摩藩屋敷を入手し同志社のためにそれを提供するなど最大の功労者だったとのことです。その縁もあり明治9年に新島襄と結婚しています。
八重は男勝りの性格だったようでドラマの綾瀬はるかさんとは違いずんぐりむっくりしていて写真で見ても決して美人ではないようです。しかし新島襄は外国の知人への手紙に「彼女は決して美人ではありません。しかし、彼女は美しい行いをする女性です。彼女は生き方がハンサムなのです。」と述べています。
ただ、徳富蘇峰をはじめ、当時の男性からは夫よりも先に出しゃばるような性格は悪妻ともみられたようで、蘇峰は「頭が西洋式で指に宝石、胴体は和服という鵺(ヌエ)のような女だ」と形容したとのことです。しかし、その女丈夫のような八重には一目置いていたそうです。
八重は車に夫より先に乗り込んだり、夫をジョーと呼び捨てにしたりと当時としては顰蹙を買うような行動をとっていますが、決して夫を蔑ろにしたわけではなく夫婦仲は非常に良かったそうです。病弱だった襄をむしろ庇護するように支えたといいます。夫が亡くなった後も書斎をずっとそのままにして亡夫を偲んだといいます。多分自主精神に富んだ彼女は時代を先取りしすぎていたのかもしれません。
この本の物語は同志社大学の設立に情熱を注ぎながらも若くして病に斃れた新島襄の死で終わっています。
ただ、エピローグとして「新島八重は奔放に86歳まで生きた。彼女は茶道に没頭し、日清と日露の戦争では篤志看護婦として活躍もしている。・・・」と述べられています。
 大河ドラマで八重の生涯はどのように描かれていくのでしょうか。むしろ自立した現代の女性から共感をもって支持される女性像、生き方なのかもしれません。
今後のドラマの展開が楽しみです。

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