中原寺メール12/16

【住職閑話】~先人が遺した尊厳~
 臘月9日、冬枯れの上野公園界隈を歩きました。
目的は東京藝術大学美術館で開かれていた「尊厳の芸術展」を見るためです。
ここで紹介された作品は、太平洋戦争中のアメリカ合衆国でおよそ12万人の日系アメリカ人が、砂漠等に建てられた粗末な強制収容所の中で、限られた材料(廃材)と道具をもとに作られた美術工芸品や日用品の数々です。
作品には、手作りの仏壇、木製の刀、茶道具、着物姿の人形、硯、置物、装身具など。
朽木や廃材を使って道具が粗末でも、想像力を豊かに不屈の精神で厳しい環境の中での生活を少しでも豊かにしようとする日系アメリカ人達の尊厳でした。
 それらは、豊かな時代の中で、便利な道具機器に恵まれた現代の私たちが忘れかけている人間の心意気というものを伝えていました。
 そして、収容所で過ごした両親からの遺産として二人の女性が語る次の言葉に深く胸うたれました。
「すべてを失いそれでも諦めずに生き抜くことを誓った彼らが残したものは、怒りや涙ではなく、豊かな発想と想像力あふれる精巧な芸術品だったのです。」
「両親が収容所のことを話すときは、悪いことは言わず、よいことばかり話していました。私は、収容所の中が幸せなところだと信じ込み、自分も入りたかったと思ったほどです。両親が私たちに教えたかったのは、過去にとらわれず未来を見て生きなさいということだったのです。」
 「尊厳の芸術展」を見た前日12月8日は「太平洋戦争開戦の日」、また「成道会(釈尊がお悟りになった日)」でしたが、釈尊の残された真理のことば、「怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり。」が頭をよぎりました。

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