岩に目覚めたころ

金峰山、丹沢で次第に山にのめり込んでいき、穂高の巖根を目にすると岩登りにも惹かれるようになってきました。というか、難路といわれるところを登るにはどうしても岩登りの技術が必要になってきた、というところかもしれません。
友人や山仲間に教わり、山の本を調べてある程度のことはできるようになったとは思いますが、本格的にとはいきません。アルパインガイドの講習会などで三つ峠などにも行きました。
本格的な岩登りをするにはやはり山岳会に入るのが近道です。山岳雑誌の会員募集をみて東京クライマースクラブ(TCC)という街の山の会に入会しました。名前はメジャーですが、こじんまりとした岩登りを主体とした山岳会でした。定期的に神田で集会がありました。
最初は奥多摩の氷川屏風岩という岩登りのゲレンデに連れて行ってもらいました。
ザイルの結び方、確保の仕方、懸垂下降の仕方などを教わりました。アブミなるものにも初めて乗せられましたが、恐くてへっぴり腰で必死で腕でぶら下がっていたので、腕が棍棒のようにパンパンに張ってしまいました。
その後、越沢(こいざわ)バットレス、日和田山、三ッ峠などにトレーニングに出かけるようになりました。
人工登攀も少しは板について、へっぴり腰ではなくなっていきました。オーバーハングもこなせるようになってドッペルザイルの使い方もだんだん慣れてきました。
三ッ峠では空間リッジ、4段ハングなどという空間に飛び出して、まるで天井裏を伝わり渡っていくような難度の高いルートもこなせるようになりました。あの頃は一寸天狗になって自分がどこでも登れるような気になった時もありました。
でも、谷川岳の本番などで失敗してすぐにその鼻はへし折られてしまいましたが。
結構長いこと岩登りをしていたと思っていましたが、記録を振り返ってみると精力的に登っていたのは青春時代のごく一時期でした。
セピア色に変色した当時の写真を眺めていると、若かった頃の甘酸っぱい思い出が蘇ってきます。未熟だったけれど、将来の山への希望に燃えていたように思います。

img048初めてのアブミ体験、へっぴり腰で腕でザイルにしがみついていました。

img046越沢バットレスで、少し慣れてきました。

img047三ッ峠でのクライム、4段ハングといわれる屋根のように張り出したオーバーハングは圧倒的です。