ヨテボリ便り(2)

オープニングセレモニーが終わると、コンベンションホールの別な場所に移動して宴会となりました。日本の様にお偉方の何人もの挨拶で始まるのではなく、三々五々にワインと料理のプレートを持って立食形式で談笑が始まりました。小生は勿論知人もなく、いわばエトランゼですのでしばし飲み食いして早々に退散するつもりでした。あるテーブルで一人で食べていると、たまたまでしょうか、あるいは中に一人毛色の変わったのがいると興味をもったのでしょうか、外人がプレートを置きにきました。多分しばらくは勝手に飲み食いしていたのだと思います。そのうちどこから来たのだ、と聞くので日本からだと答えました。その人はドイツ人で日本にも行ったことがあるとのことでした。それで話しかけてきたのかもしれません。専門は何かと聞くので乾癬など研究していたが今はgeneralだ、と答えました。皮膚科全般といえば聞こえはいいですが、専門はないと告げたようなものでした。彼はレーザーが専門で日本でもその関係で講演もしたようです。日本でのレーザーなど美容皮膚科はどうかと聞くのですが、むしろ彼の方が知っているかも知れないと思いつつも近年増えてきているけれどそれ程一般的ではないのではないか、むしろ韓国はすごいみたいといいましたらそれは彼の方が良く知っているようでした。ドイツ人ではどうなのだと聞いたら、冗談かもしれませんし、小生の英語力の貧弱さで聞き違ったかもしれませんが、ドイツ人は肌を晒さないから美容にそれ程金を使わない、そのかわり車に金を使う、それに比べてスペイン人(イタリア人?)は肌を晒すからドイツ人の10倍美容に金を使う、だから僕は大学とクリニックを掛け持ちでやっているのだ、のようなことを言っていました。それに日本の車は良くできていて豪華だ、などとよいしょするので、いややはり車はドイツだろう、走る、曲がる、止まる、の基本がしっかりしている、とカーグラフィックの受け売りのような答えをするとまんざらでもないふうでした。だんだんとワインの酔いがまわると口も滑らかになり、(恥ずかしさの抑制がとれただけ?)談笑するうちに美人の奥様もよってきました。南ドイツからきたと言っていたのですが、どこか知らない街だったのですが、話すうちに以前国際学会がベルリンで開催された時、教授の留学先のハイデルベルグに立ち寄った話をしたら、ああ、私たちの住んでるのはそこからほんの少しの所よ、とのことでした。昔のハイデルベルグのお城や、ネッカー川や哲学の道などが思いだされてきました。ベルリンの学会は知らないとのことなのでその後皮膚科医になったのでしょう。いつのまにかロートルの部類に入っているようでした。あの頃ベルリンは東西に別れていて、ポイントチャーリーでは車の下まで検閲があった、というと現在のベルリンはあのころとは別物だ、素晴らしく発展しているから一度行くべきだといっていました。しばし3人で談笑してお別れしました。学会場の外は小雨になっていましたのでタクシーで宿まで帰りました。227SEKでしたが、宿で聞くと高かったねとのことでしたが、翌日はもっとぼられることになりました(そのことはまた後で)。
 宿のバスルームはびっくりする程シンプルというか粗末で、小さな洗面台とトイレがあり、反対側のコーナーにカーテンが張ってあり、床が角の排水口に向けてやや傾斜してあるだけです。バスタブのかけらもありません。ラディソン・ブルーとえらい違いだなーと思いましたが、三ツ星ホテルに泊まった人も似たような作りとのことでしたのでヨテボリてそんな習慣なのかもしれません。それでも寝る所さえあれば十分です。ネットも安くで使えるし梅干し、おにぎり、お茶、おかきなど準備してきたので問題なしです。ウェブメールを開いて、千葉県ミレニアムの原稿の校正依頼が来ていてびっくりしましたが、担当者もびっくりしていました。本当に地球は狭くなったものだと実感しました。外国にきているのに気になるのは日本のニュースでそればかりみていました。初日は疲れもあり翌日も早いので早々と眠りにつきました。

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