中原寺メール10/18

【住職閑話】~生活の意味は?~
 お互いに毎日の生活に煩わされていますが、私たちの生活についてちょっと考えて見ましょう。
 そこでその生活を「生」と「活」に分けて考えて見ます。一つは「活」。私たちの衣食住の問題ですね。端的にいえば、パンをどう手に入れるかという問題です。私たちは朝から晩までほとんどがここにかかずらっています。もう一つは「生」。これはパンを食べても死にますよという問題です。つまり「活」が満たされても死ぬという問題は残ります。
 「活」のレベルでは、地位も名誉も財産も健康もないよりあったほうがいいでしょう。しかし、絶体絶命になったとき、ないよりあったほうがいいというものでは「生」の解決はつきません。ぜひともなければいけないものに遇わなければ生死の解決はつきません。
 ひょとしてあなたは次のような考え違いをしていませんか?
仏教は何かを信じ込むことでも、単に世の中でどう生きたらいいのかを教える処世術でもないのです。こう思っている人は常に「宗教にだまされる」危険性があります。
仏教は私たちの勝手な執われを超えた真実の世界を明らかにする教えです。 
それはどうしてもなければいけないものにで遇うことが大切です。しかし現実に私たちは、世の中を自分のエゴを中心に、「活」だけの視点でいのちを切ってみるので、生き死にを超えた大いなるいのちの世界がなかなか見えません。
 私たちを生かしめている、その大いなるいのちの世界に目が覚めたときに「生」の問題は解決します。
目を開けて眠っている人は「活」だけでなんとか生も死も乗り越えられると思っている人のことです。

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