初めての穂高

初めての穂高 1972年の8月、自分にとって初めての穂高に向いました。 「最初の予定では岳沢から穂高、槍、大天井、常念、蝶、徳沢と回るつもりだったが、バスから見る岳沢の雪渓がいかにも急そうで、臆病な自分のこと計画を大幅に変えざるを得なかったが槍沢に熊が出るというので結局このコースに落ち着いた。」と日記に書いています。成程、生まれて初めて雪渓を見たわけで、不安にかられたのでしょう。熊も看板には注意書きがありましたが、皆が登る登山道にはめったに出ることもないでしょう。しかし、穂高の岩尾根よりも熊が怖かったということでしょう。 お昼前に上高地を出発して、その日は横尾のキャンプ場に泊っています。 翌日は横尾のキャンプ場から涸沢を経て、北穂小屋まで登っていますが、随分と時間がかかっています。高山に慣れてないのと、新しい靴で靴ずれを起こしていたようです。 「今回の山行ではよくバテた。北穂の登り、大キレット、東鎌、いたるところでバテた。」と書いています。若い頃はもっとさっさと歩いていたと思っていたのですが、改めて見返して見ると体力のないのは昔から変わらなかったようです。 キスリングザックにいろいろと詰め込んで、背負い方も変だったように思います。 北穂から大キレットの下りがとても急でキスリングが岩に引っかからないか心配だったのを覚えています。 槍から、大天井、燕岳への道はアルプス銀座コースとか、表銀座コースとか呼ばれて、北アルプスで最もポピュラーな人気コースだけあって、前半より楽で縦走路の稜線漫歩ができました(でも東鎌尾根でもバテた、と書いていますが)。 キスリングが邪魔だった、とか靴ずれがひどかった、とかラジウスの調子が悪かった、とか体力の無さを痛感した、とか当時の日記をみるといろいろと不満を書きならべていますが、初めての3000m級の日本アルプスの縦走を経験できて充実感を味わいました。
写真を見ると薄れかけた記憶の底から当時の素晴らしかった情景が浮かび上がってきました。 その後、穂高に惹き付けられていったのですが、もう激しい登山はできなくなった今でも夢は穂高を駆け巡ります。一番好きな山は?というのは難しい質問ですが、涸沢を中心とした穂高が一番アルペン気分を満たしてくれるような気がします。学業にも、スポーツにも、打ちこめなかった青春時代に夢中になったのが山で、穂高はそのころの思い出が一杯つまった心のハイマートであるからかもしれません。
古い写真をスキャンしました。白黒でしかも汚れがありますがご容赦のほどを。槍ヶ岳1.bmp槍ヶ岳2.bmp槍ヶ岳3.jpg滝谷1.bmp滝谷2.bmp

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