中原寺メール4/30

~【前住職閑話】~
 久しぶりにまとまった雨が降って、明日からはもう5月です。
いつのまにか青葉となった周囲の景色が心をしっとりとさせてくれます。
 4月のニュースのなかで、二つの事件が心に引っ掛かりました。
一つは北海道で海岸べりを散歩中の女性が飼い主から放たれた土佐犬に襲われかまれて水死したという痛ましい事件です。
飼い主の責任が厳しく問われなければなりません。そして直ちにその犬は殺処分されました。
 今一つは徘徊をしていた痴呆老人が電車にはねられ、ダイヤを乱した損害賠償は監督不十分の配偶者にあるという二審判決のニュースです。
 二つの事件から思うのは世法(人間が作った法)には常に矛盾があることです。
人を襲った土佐犬はなぜ殺処分されるのか?
人間が腹を満たすために牛や馬や鶏を屠殺するのはどうなのか?
 世法はあくまでも人間中心の見方です。
徘徊の痴呆老人にとって電車は凶器ではなかったのか?
営業利益は人の命より優先されるのか?
 世法は都合よく作られていて誰もが納得できるものではありません。
そんな世法の中で生きなければならない人生に光を与えてくれるのが仏法です。
仏法は人間が作ったものではない真理です。真理とはいかなるものにも通用するものです。
 親鸞聖人は「わたしどもはあらゆる煩悩(人間中心)をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏(仏法)だけが真実なのである」とのお言葉をあらためて深く味わいました。