中原寺メール3/23

【前住職閑話】~受け継がれない淋しさ
 今の時代、受け継がれないものが非常に多くなりました。
その中でも一番淋しく感じるのは宗教心です。
「息子たちはどうなるかわかりません。信仰の強要はできないし、仕方ありません。時代は変わってきていますから…。」
こうした言葉をよく耳にするようになりました。一見次世代に引き継ぐことの困難さに苦労しているようですが、どうも言っている本人に納得いかないものがあります。
 なぜならばそういう本人に確固たる「宗教への姿勢」そのものが感じられないからです。「受け継ぐ」とは、まず子や孫に継いでほしいと思う親本人が信心をしっかりと身に受けているかどうかではないでしょうか。そのことが曖昧であったり自信がなければ受け継がれるはずはありません。
 浄土真宗にあっては理屈で伝えるよりも宗教的態度を大切にしてきました。具体的には三つの日々の行動です。その三つとは、身(からだ)と口(ことば)と意(こころ)です。これらを身・口・意の三業(さんごう)といいます。身には仏さまに手を合わす姿です。そして口にお念仏を称えることです。そしてこころに感謝の念を持つことです。
 これらの行為の中で一番大事にしたいのは、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」とお念仏を申すことです。時をも言わず処をも嫌わず念仏申す声は、人の耳に必ず届きます。この声は仏さまの声だからどなたの耳にも自然に入り心の底にとどまります。
 もしあなたの中でどこかに引き継いだ宗教への感覚があるとしたらきっとお念仏の声ではなかったでしょうか。
 お念仏が受け継がれないのはお念仏の声が聞かれなくなったからです。