水銀皮膚炎

先日、水銀皮膚炎の患者さんが、受診されました。
診察すると、臀部、大腿部にびまん性に紅斑が認められました。細かい紅色の丘疹も認められました。患者さんは当初、食べた物が悪かったのか、など心配されていました。いわゆる中毒疹の様相もありましたので、薬剤を飲んでいないか、風邪などひいていないか、問診しましたが特別の変わったことはないとのことでした。一面の赤みはありましたが、全身に拡がっているわけではなく、臀部から下半身に限局しています。こういった場合に考えるのは、滅多にありませんが、水銀体温計を壊した場合や灯油皮膚炎などです。そういったことはありませんでしたか、と聞くと「ああ、そういえば体温計を振った時に左側の太ももに触れて割れてしまいました。」とのことでした。
経過を聞くと、割った翌日に掃除機で吸い取った、その翌日に赤みが出て、次第に拡がったとのことでした。受診は体温計破損後4日後でした。全身状態も良く、限局性の紅斑だけだったので、リンデロンV軟膏とアレグラを処方しましたが、2日後には更にひどくなったといって再受診しました。発熱も38度近くあり、背中にもびまん性の紅斑が拡大、大腿部では紫斑も混じっていました。さらに口内炎もでていました。重症化も心配しステロイド剤の内服も追加し、治癒に至りましたが、貴重な経験でしたので文献を調べてみました。

水銀体温計の破損による皮膚炎は、水銀に感作が成立している人に生じ全身性接触皮膚炎を起こします。全身性金属アレルギーは金属が何らかの経路で血中に吸収されて、金属に直接接触していない全身も症状が出るものをいいます。水銀の場合は間擦部、臀部、大腿後面のびまん性の紅斑、浮腫が特徴的です。臀部に潮紅がみられるためにヒヒ症候群(Baboon syndrome)と呼ばれることもあるそうです。本例でもお尻全体がお猿さんみたいに真っ赤になりました。水銀蒸気を吸入することによるとされますが、本例のように接触部分の症状が激しく、皮膚からの感作(経皮感作)も考えられます。
 時には、発熱を伴い、全身に紅斑、膿疱が多発して急性汎発性発疹性膿疱症(acute generalized exanthematous pustulosis: AGEP)という病態をとることがあります。
本例も明らかな膿疱は認めなかったものの、発熱があり、大腿部には潮紅、紫斑もみられプレドニンの全身投与をしなければAGEPの状態になっていたかもしれません。AGEPはペニシリン系などの抗生剤の投与によって生じることが多いですが、水銀によっても生じます。これはベースに感染症が関与した場合に起こりやすいとされていますが、抗生剤を使用したり、体温計を使用したりする機会に多いというのも頷けます。
 水銀皮膚炎の原因は水銀体温計破損が最も多いですが、近年は電子体温計が主流となり減少してきました。他に、水銀軟膏、蛍光灯破損、水銀電池誤飲などがあり、少数ですが、歯科用アマルガムによる報告もあります。
 水銀体温計による健康被害を調べていくと、水銀蒸気の毒性の強いことが記されています。掃除機などで吸い取ったりすることは厳禁のようです。室内に微量な水銀が散らばっていると長期の水銀中毒の原因になり兼ねません。パンに吸着させたり、密封した袋に入れて所定の手続きで廃棄するのがベストです。
 水銀による皮膚障害の症状としては、アマルガムによる歯肉炎、口内炎、頬粘膜の色素沈着、貨幣状湿疹や、手足の皮むけ、汗疱状皮膚炎、四肢疼痛などの報告もあります。
特に貨幣状湿疹や汗疱などの際には金属アレルギーを疑うことも必要です。

水銀による健康障害で特に重要な物質にアマルガムとチメロサール、メチル水銀などがあります。これらについて調べてみたことを述べます。
【歯科用アマルガム】
アマルガムとは水銀と他の金属との合金の総称です。歯科金属としては19世紀のフランスで使われ始めたそうです。銀、錫のアマルガムに銅、亜鉛などを混ぜたものが使われるそうです。アマルガムは硬化時に膨張しぴったり患部を塞ぐ、安価であるなどの利点があり多用されてきましたが、銀灰色に着色すること、水銀が溶け出すことなどから最近はあまり使われなくなったそうです。

アマルガムによる口内炎、歯肉炎、肛囲皮膚炎、頬粘膜の色素沈着、口腔扁平苔癬などの報告がみられます。また、歯科医本人でアマルガムを除去することによって、貨幣状湿疹が軽快し、その後仕事でアマルガム蒸気を吸入した際皮疹が再燃したケースレポートもあります。また患者のアマルガムを切削した歯科衛生士が水銀皮膚炎を発症したケースもあります。
 古くは奈良の大仏建造の際に作業者に原因不明の病気が発生し、死亡者もでました。当時の金メッキは水銀と金のアマルガムで、塗布した後加熱して水銀を蒸散させる工法をとっていたとのことです。現在ではこれは蒸散した水銀を吸入したことによる水銀中毒と考えられています。
【マーキュロクロム】
メルブロミンというよりも「赤チン」という名称で親しまれてきた消毒薬ですが水銀とホウ素を含むためにこのような呼び名で呼ばれます。
青緑色から緑赤褐色をした有機水銀化合物ですが、2%液に水銀0.42-0.56%を含んでいます。低濃度で皮膚からの浸透性が低く安全とされましたが、日本では1973年から製造停止、欧米でも20世紀末から次第に販売停止になりました。しかし、極めて安価で便利なために未だに発展途上国ではよく使われています。
【チメロサール】
エチル水銀チオサリチル酸Naという有機水銀化合物です。マーゾニンとも呼ばれます。1930年代からワクチンの保存剤として使用されてきました。マーキュロクロムよりも殺菌力が強い、着色しないという、利点はありますが、近年は減らす方向に向かっています。
かつて細菌に汚染されたワクチンで死亡事故があり、チメロサールが添加されるようになりました。
 近年米国で自閉症やADHDなどの疾患が増えた原因の一つにワクチンに添加された水銀が考えられたこともありました。これについては科学的、疫学的な確証はなく現在は疑いのみです。しかし、チメロサールが分解してできるエチル水銀はメチル水銀に似た構造式を持っています。いずれにしても摂取は人体に良いことではないので、米国では近年のチメロサールの添加量は0.1mg/mlから0.01mg/mlに減少されました。またチメロサール無添加のワクチンも増えてきているそうです。
但し、微量でありアレルギーを除いては際立った問題は起きていないようです。
【メチル水銀】
水俣病の原因としてよく知られた物質です。有機水銀の代表的なもので、人体には非常に吸収され易く、神経毒として様々な中毒症状をおこします。環境中の無機水銀でもある種の微生物はメチル化して有機水銀に転換します。魚類は長年の間に有機水銀を蓄積しますが、食物連鎖によってマグロなどの上位にある魚に多く蓄積されていくそうです。従って米国FDAは妊婦、乳児などに対してはこれらの魚の摂取を制限する勧告を行っています。しかし、魚の摂取を極端に減らすことよりも、水銀濃度の低い魚であれば食べることによる栄養学上の利点の方が大きいとの考えもあります。
 なお、ジメチル水銀になると毒性はもっと強力でその致死量は1/1000 mlとされています。ある科学者がゴム手袋に数滴たれた液から被曝し死亡するという事故もおこっています。

水銀による健康被害は多岐にわたり、有機、無機によっても、曝露経路、濃度、期間によっても、アレルギーの有無によっても天と地ほどに異なってきます。
過小評価も過大評価も間違った情報になり兼ねませんので、正確には国の専門機関(厚労省や中毒情報センターなど)に聞くのがよいかと思います。

参考文献

visual Dermatology Vol.10 No.11 2011
[特集]最新・歯科と連携して治す皮膚疾患

木村聡子、他 歯科衛生士に生じた水銀アレルギーによる皮膚炎の1例 臨床皮膚科 60:589-591,2006

皮膚病診療 2012年増刊号 Vol.34 接触皮膚炎症例集

水銀皮膚炎1

水銀皮膚炎2